歴史
「碧園 お茶の純平」は明治3年(1870年)の創業以来、5代にわたって豊田の地で茶業を営んできました。
2代目の純平氏は、大正9年(1920年)に「三河式てん茶機」を考案し、全国のてん茶製造の近代化に貢献した功労者として知られ、「お茶の純平」ブランドの由来にもなっています。
はじまり
碧園お茶の純平は、明治三年春愛知県碧海郡高岡村(現豊田市吉原町)に園祖山内金六が茶の栽培を手がけたのが始まりです。以来、代々にわたり、茶の品質の改善に努め、後には茶の販売も手掛ける様になりました。
二代目山内純平
特に、二代目山内純平は大正九年、三河式碾茶機械を考案し京都宇治でも賞賛を受け碾茶製造の近代化に大きく貢献いたしました。(京都府茶業百年史より)
そして、今へ
その後、三代目山内武義が栽培面積の拡張と茶販売の礎を作り、四代目山内希男が全国に販路を広げ、五代目山内祥正はお茶の品評会で「農林水産大臣賞」「内閣総理大臣賞」を受賞するなど、高品質なお茶を自ら栽培、製造しつつ、日本の茶はもとより文化を世界に広めるために躍進しています。